遙かなる時空の中で 3 運命の迷宮

 こちらは “運命の迷宮” に登場した和歌や漢詩などをのせています。
 適当な訳+私見です。 あらかじめご了承ください。


迷宮内の石版     二章 扉の向こう側 後編
暫(しばら)く崎嶇(きく)を借(か)れども 石を戴くにあらず
空(むな)しく峻嶮(しゅんけん)を偸(ぬす)めども あに松を生(しょう)ぜんや
暫借崎嶇非戴石
空偸峻嶮豈生松
作者 都在中(みやこのありなか)     出典  和漢朗詠集 下巻 雑 「雲」
夏の雲が湧き立って、山の形をしている。
それはしばらくの間、険しい山の峰に似せているが、本物の山ではないから、石もなければ松を生やしているわけでもない。

ヒノエの訳によると、こうなります。
崎嶇(きく)は山道が険しいさま、峻嶮(しゅんけん)は山が高く険しいこと。
もくもくと盛り上がる積乱雲は山に似ているけれど、考えてみれば、本当の山ではないから岩石や老松の姿がない、
そんな当たり前のことを述べることによって、かえって山のような夏の雲を鮮やかに描いています。
景時が見た目にだまされちゃいけない、と要約したとおり、目に見えないだけで、実際には橋がかかっていることを示したヒントです。
でもヒノエ、九郎、景時はジャンプして越えていました(笑)


リズヴァーン     戦闘開始時
君見ずや青海(せいかい)の頭(ほとり)
古来白骨 人の収むる無く
新鬼(しんき)は煩冤(はんえん)し 舊鬼(きゅうき)は哭(こく)し

天陰(くも)り 雨濕(しめ)るとき 聲(こえ)啾啾(しゅうしゅう)たるを
君上見青海頭
古來白骨無人收
新鬼煩冤舊鬼哭
天陰雨濕聲啾啾
作者 杜甫     出典 兵車行
ごらんなさい、あの青海(ココノール湖、唐とチベットがたびたび戦ったところ)のほとりでは
昔から戦死者の白骨がごろごろして、とりかたづける人もなく、
新しい亡者たちはもだえ恨み、古い亡者たちは慟哭して
空がくもり、雨のじめじめした日など、その声がしくしくとむせび泣いているのを。

いくさぐるまのうた。 長い詩の最後の一節です。
杜甫が、国境を広げるためだけの意味のない侵略戦争に苦しむ人民たちを見て、胸がしめつけられる思いで作りました。
新鬼(しんき)は煩冤(はんえん)し 舊鬼(きゅうき)は哭す

目の前にたちふさがる怨霊たちのことをいっています。


リズヴァーン     二章 扉の向こう側 後編
契闊(けいかつ) 談讌(だんえん)して
心に旧恩を念(おも)う
契闊談讌
心念舊恩
作者 曹操     出典 短歌行
久しぶりに飲み語らって、かつての誼(よしみ)をあたためなおそう。

賢才の士を招きたいという願望を歌った詩の一部です。
クリスマスパーティのにぎやかな様子に、この詩を引用して、よい夜だな、と言います。
戦いの合間の幸せなひと時です。


武蔵坊弁慶     二章 扉の向こう側 後編
人生意を得ば 須(すべから)く歓(かん)を尽くすべし 人生得意須盡歡
作者 李白     出典 将進酒 (酒を将(ささ)げ進(たてまつ)る)
人として生きていて、心にかなうことに出逢ったのなら、歓(よろこ)びを味わい尽くすことが肝心だ。

※ 弁慶は、人生意を得んには須らく歓びを尽くすべし と言っていますが、それだと少し意味が違ってくるかと思います。

遙か3のリズヴァーンのところにのっている、君見ずや、黄河の水・・・ と同じ詩からです。
上のリズヴァーンの言葉にうなずき、こういった心持ちだと答えました。
本心をめったに見せない弁慶ですが、このときばかりは本当に楽しそうです。


武蔵坊弁慶     三章 想い出のかけら 後編
故に名君賢将の動いて人に勝(すぐ)れ、
功を成すこと衆に出づる所以の者は、先ず知ればなり。
故明君賢將、所以動而勝人、
成功出於衆者、先知也。
作者 孫武     出典 孫子兵法 13 用間篇
古来、明君賢将といわれた人たちが、ひとたび動けば必ず万人にすぐれ、 戦勝の勲功をあげることも諸人に傑出したというのも、すべてまず相手の実情を十分に予知して後、事をおこしたからです。

明君賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出ずる所以の者は先知すればなり。
迷宮内の図書館で本を手に取った弁慶が、中を読み上げて、懐かしいなといいます。
占いや神仏の御託宣によることなく、聞くべきところの人から聞き取ること、すなわちスパイを利用して敵の事情を探知することの重要性を説いたものですが、 この一文に目に留めるあたり、弁慶らしいです。
それにしてもこの迷宮に兵書があるとは・・・ ヒノエが言った兵法関係の言葉が無意識に神子の心のなかに残っていたのでしょうか。


白龍     四章 結晶のゆくえ 前編
龍恋(りゅうれん)の鐘
わだつみ とは、海の神(龍)、または海のこと。
ふたりが永遠の愛を祈って鳴らしたのは、恋人の丘と呼ばれる場所にある龍恋の鐘です。
この鐘は「江島縁起」の伝説に基づき建てられたもので、昔、悪さばかりしてきた頭が5つある龍(五頭龍)が、江ノ島が誕生したときに 天から降りてきた天女(弁財天)に恋をし、妻に迎えようとしましたが、天女はあなたのような 悪さをする龍の妻にはならないと断りました。
次の日、これからは心を入れかえ、村を守ると龍が約束すると、天女は静かに手を差し伸べ、結婚を受け入れました。
以来、龍は身をもって村を守りましたが、そのたびに体はおとろえ、やがて天女に涙ながらに私の命もやがて終わるでしょう。
これからは、山となっていつまでもこの地を守りますと言い、対岸に渡り山になりました。
その山が江ノ島の対岸にある片瀬山(竜口山)で、江ノ島の天女(弁財天)を慕うようにいつまでも見つめているということです。

最後は悲しい別れになってしまった五頭龍と天女を、神子は自分たちに重ねたのかもしれません。


ヒノエ     二章 扉の向こう側 前編
人曰、趙衰冬日之日也。
趙盾夏日之日也
冬日可愛、夏日可畏。
人曰(いわ)く、趙衰(ちょうし)は冬日の日なり。
趙盾(ちょうとん)は夏日(かじつ)の日なり。
冬の日は愛す可(べ)く、夏の日は畏(おそ)る可(べ)し、と。
作者 曽 先之(そう せんし)     出典 十八史略 巻1 春秋戦国 趙
冬日可愛(とうじつあいすべし) もとは、春秋左氏伝(左伝)の文公7年の項からです。
狄(てき)が魯(ろ)を侵略したので、文公は晋(しん)に報告させた。
晋の中軍の将(宰相)である趙盾は前年から狄へ逃れていた賈季(かき)に依頼して、狄の宰相の�睥舒(ほうじょ)をたずね、魯を侵略したことを責めさせた。
その時、�睥舒は賈季に、「(親の)趙衰と(子の)趙盾、どちらが優れているか」  とたずねたところ、
賈季は 「趙衰は冬の太陽のように温和で親しみやすい人であり、趙盾は夏の太陽のようにきびしくて恐ろしい人である」 と答えた。

そこから、やわらかく暖かな陽を放ち、誰からも親しまれる冬の太陽のように、穏やかで思いやりの深い人をたとえていいますが、
この場合は単に、日差しを楽しむにはこんな日がいい と、冬の陽光はあたたかで愛すべきものだという意味で使っています。
ちなみに、このとき神子の髪についていた紅葉の葉を、ヒノエはしおりとして使っているようです。


ヒノエ     二章 扉の向こう側 前編
 「落葉(らくよう)」

秋の日の ヴィオロンの ため息の
身にしみて ひたぶるに うら悲し。


鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて
涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。

げにわれは うらぶれて ここかしこ
さだめなく とび散らふ 落葉(おちば)かな。
 《Chanson d'automne》(秋の歌)

Les sanglots longs Des violons De l'automne
Blessent mon c�・ur D'une langueur Monotone.

Tout suffocant Et blême, quand Sonne l'heure,
Je me souviens Des jours anciens Et je pleure,

Et je m'en vais Au vent mauvais Qui m'emporte
Deçà, delà Pareil à la Feuille morte.
作者 Paul Verlaine(ポール・ヴェルレーヌ)     出典 サチュルニアン詩集 : 土星の子の歌
いまいち分かりにくいので、もっと簡単に訳せば、
秋の日の、ヴァイオリンの長いすすり泣き(に似た秋風の音)に、こころ痛み、もの悲しさを誘われる。
晩祷の時を知らせる鐘の音鳴り渡るとき、胸ふさがり、青ざめて、昔の日々を思い出し涙ぐむ。
まこと私は、吹き荒れる風のままに、こちら、あちらと翻弄される落葉の身の上。

細かいことを気にしなければ、たぶんこんな感じです。
こんな詩を思い浮かばせるような、落葉の降り積もった風景も、神子がいるなら春の野にまさる。 そういうことです。


ヒノエ     二章 扉の向こう側 後編
をかしく舞ふものは 巫(こうなぎ) 小楢葉(こならは)車の筒(どう)とかや
平等院なる水車(みずぐるま) 囃せば舞ひ出づる蟷螂(いぼうじり) 蝸牛(かたつむり)
出典 梁塵秘抄 巻2 331
おもしろく舞うものは、巫女、小楢葉、車の筒(車軸の中心部の円木)とかいうことだ。
平等院の水車、囃すと舞いだす蟷螂(かまきり)や蝸牛も。

この前の歌が、めでたく(みごとに)舞うものを取り上げており、対のようになっています。
カマキリは鎌を振り上げる様子が、カタツムリは角を出したり引っ込めたりするのが舞に見立てられたのでしょう。
迷宮内の水車が止まっているのを見て、本来水車は回っているものだという意味でヒノエが言いました。


ヒノエ     二章 扉の向こう側 後編
天(あめ)の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見   
作者 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)     出典 万葉集 巻7 雑歌 1068
(たとえてみれば)天は海だ。その海に雲の波が立ち、月の船が浮かんでいる。
そうしてたくさん並んでいる星の林の中に漕ぎ隠れていく。

聖なる夜の遊覧飛行です。 この歌をあげるあたり、やっぱりヒノエは船が好きなんですね。
神子からのプレゼントのことを他の八葉が知ったら、命が惜しいと言ったとおり、譲あたりに八つ裂きにされてしまいそうです。
それでも最後の最後にまた同じことをするあたり・・・さすがヒノエです(笑)


ヒノエ     四章 結晶のゆくえ 前編
あはれとも 言うべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
作者 藤原伊尹(ふじわらのこれただ)     出典  拾遺和歌集 巻15 恋5 950
(私が恋焦がれて亡くなっても)かわいそうにと言ってくれそうな人は誰も思い浮かべられずに、私の身はむなしく亡くなることになりそうだなあ。

オレの行き先が気になる? と聞いたヒノエに、気にならないとつれない返事をすると、この歌を口にしますが、
それだけ口がまわればだいじょうぶと、あっさり神子に返されてしまいました。
作者は一条摂政、謙徳公(けんとくこう)とも呼ばれます。 小倉百人一首にも選ばれている有名な歌です。

この場面とは関係ありませんが、景時がケガしたとき、どうしてあんな場所にいたのか正しい推理をするとヒノエが言う、
うら若きミス・マープルとは、アガサ・クリスティの作品に出てくるおばあちゃんの素人探偵の名前です。
神子がマープルなら、ヒノエはさしづめ・・・ 会話はここで終わってしまいましたが、いったい誰というつもりだったのでしょうか。
続きが気になります。


ヒノエ     四章 結晶のゆくえ 前編
君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天(あめ)の火もがも
作者 狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ) または 狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ) 
出典 万葉集 巻15 3724
いとしいあなたが行く長い長い道をたぐりよせ、たたみ重ねて焼いてなくしてしまう天の火があればいいのに。
(そうすれば都との遠い距離もなくなる)

流罪になった夫にむけて、会うことができないことを嘆いた歌です。
天の火とは、天の意思でどんなものでも焼き尽くす神秘の火。
あなたと離れたくない。ふたりを引き裂く長い道のりを一挙に消滅させる奇跡を願う、愛の歌でもあります。

今だけは楽しもうといったヒノエに、今だけ? と引っかかりをもった神子に向け、この歌を言いました。
おまえの心はオレに傾いている。
オレがもとの世界に帰ってしまったら、時空を隔てた遙かな距離を焼き滅ぼしてくれるかい、そう煽っているような気がします。


ヒノエ     終章  運命の迷宮 (譲ルート)
走るを上(じょう)と為す 走為上
出典  三十六計 第三十六計
逃げるが上策。 全軍が退却して敵を避け、退くをもって進むとなし、機を待って敵を破る。
これは正常な用兵の法則に反しないものである。

三十六計、逃げるに如(し)かず。 数ある策略のなかでも逃げるべきときには逃げるのが最上の策だといっています。
敵が圧倒的優勢を占め、こちらの勝利がおぼつかない場合は、投降か、講和か、退却か三つの道があるのみです。
投降は全面的敗北であり、講和は半ば敗北となるが、退却は敗北ではなく、勝利へと転ずるカギである。
もちろんヒノエは譲を信用したうえで、勝機をつかむために一時退きました。


梶原景時     三章 想い出のかけら 前編
鎌倉の五家
鎌倉、梶原、村岡、長尾、大庭、の関東の平氏五家。
平氏五家の祖を祀っていた五霊神社は、後に五家のうちの一つ、武勇で名高い領主の鎌倉権五郎景政公(景時の先祖)だけを祀るようになり、御霊神社となりました。
話はそれますが、景時の仕切り上手のことを話していたときに九郎が言った 「兵站(へいたん)」 とは、
戦場の後方にあって、作戦に必要な物資の補給や整備・連絡などにあたる機関のことです。


梶原景時     終章 運命の迷宮
朝夕に 神の御前(みまえ)に 禊して 皇(すめら)が御代(みよ)に 仕え奉(まつ)らむ
遠つ神 固め修めし 大八洲(おおやしま) 天地(あめつち)共(とも)に 永遠(とわ)に栄えむ
天つ神 地(くに)つ祇等(かみたち) 御覧(みそな)わせ 思い健(たけ)びて 吾(あ)が為すわざを
出典  禊神歌(みそぎしんか)
つねに神の御前に禊して、天皇様の御代にお仕えたてまつります。
遙かな神(イザナギ、イザナミ)が(天の沼矛で地を)固め、おつくりなされた日本国、天地ともに永遠に栄えん。
天津神、国津神たちよ、神々を思い、姿勢を正して神々しい神格の顕れを体感する私の行いをご照覧あれ。

禊の行事のなかのひとつ、鳥船(とりふね)の行事で唱えられる禊の和歌三首です。
・・・私が訳したので、この訳が正しいかは定かではありません。
景時は 「朝夕に 神の御前に 禊して 皇が御代に 仕え奉らん
     吾が為す業を 遠津神 固め修し 大八州 天地共に 永遠に栄へむ」
といいました。
心身に清々しさをもたらすために唱えたものだと思われます。


梶原景時     終章 運命の迷宮
オン マリシエイ ソワカ
摩利支天(まりしてん)の真言で、「帰依したてまつる、摩利支天よ、成就あれ」 という意味です。
この真言を唱えれば、あらゆる災難から逃れられるとされています。

摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したもので、サンスクリットでは Marici (太陽や月の光線)といい、摩利支は音写です。
陽炎は実体がないので捕えられず、傷付かない。この「傷つかない」という特性から、日本では護身、蓄財などの神とされています。
我らを隠し守りたまえとまじないをかけたとおり、神子の姿を隠形で消し、幻影を作り出しました。


???        終章 運命の迷宮
ナウマク サマンダボダナン キリカ ソワカ
荼吉尼天(だきにてん)の真言で、「あまねき諸仏に帰命したてまつる、荼吉尼天よ、心願を成就せしめたまえ」 という意味です。
複雑に呪がからみあった強力な結界を張りました。

荼吉尼天は、インド神話のシヴァの妃、カーリーの侍女たちで、血を好み、人肉を食らう悪鬼ですが、
日本では古くからの神である稲荷と同一視され、白い狐にまたがる美しい天女として描かれています。
「遙か3」 では、大黒天との戦いに敗れ、異国から流れついた神で、怨霊や人の魂を喰らって力を得ていました。


梶原景時     終章 運命の迷宮
天清浄(しょうじょう) 地清浄 内外(ないげ)清浄 六根(ろくこん)清浄と祓給ふ
天清浄とは天の七曜九曜二十八宿を清め 
地清浄とは地の神三十六神を清め
内外清浄とは家内三寶大荒神(かないさんぼうだいこうじん)を清め
六根清浄とは其身(そのみ)其体(そのたい)の穢れを祓給(はらいたまえ)清め給ふ事の由(よし)を
八百万(やおよろず)の神等(かみたち)諸共(もろとも)に
小男鹿(さおしか)の八(やつ)の御耳(おんみみ)を振立(ふりたて)て聞(きこ)し食(めせ)と申す
出典  天地一切清浄祓(てんちいっさいしょうじょうはらい)
天に穢れなく、地に穢れなく、(家の)内と外に穢れなく、六根(眼、耳、鼻、舌、身、心)に穢れなきようにお祓いください。
天に穢れなしとは、七曜(火星、水星、木星、金星、土星、太陽、月)と九曜(七曜+月食、日食などの食を起こす羅�路(らご)・計都(けいと)星)、二十八宿を清め、
地に穢れなしとは、地の神三十六神(地域を治めている神社等にいる氏神様)を清め、
内外に穢れなしとは、竈(かまど)の神(大年神・奥津日子神・奥津比売神)を清め、
六根に穢れなしとは、心身の穢れを祓い下さり、清め下さいと申すことを、八百万の多くの神たちご一同とともに
(雄の鹿が八方に)耳を振り立てて(物事を敏感に聞き取るように)、(読み上げるこの詞をあまねく)お聞き届け下さいと申し上げます。

・・・これも私が訳したので、正しいかは定かではありません。
七曜九曜十二宮二十八宿はインド古来より発達してきた天文学、占星術です。
最後の、「耳を振り立て」 は聞くの序詞で、八の意味もよく分かりませんが、適当に訳してしまいました。
オレは君を守れる。君がそう信じてくれたから。 ふたりの絆が呪詛を打ち破る感動的な瞬間です。


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