外は一日の終わりを告げるゆったりとした空気に包まれていた。
斜めに差し込む夕陽が孤児院の一角に建つ白い礼拝堂を
鮮やかに照らし出し、時が止まっているような、
そんな錯覚を思わせた。
小さいけれども濃く茂った森の上から先端だけのぞかせる礼拝堂は
周囲をぐるりと高い鉄柵に囲われており、
そこに通じる唯一の道は鉄の門扉により固く閉ざされていた。
その門扉に長い影がいくつも落ちる。
「そこは閉まってるんだよ」
幼い子の舌足らずな声がした。
「先生が近づいちゃいけないって。
次行こ。怒られちゃうよ」
孤児院に新しく入ってきた子をみんなで案内している途中だった。
みんなの輪の中心にいる男の子は、それでも興味をひかれたのか
声を無視して、門扉に手をかけた。
少し力を入れて押すと、開かないはずの扉がゆっくりと開く。
「ウソ!? 前は全然動かなかったのに」
背中を向けて帰ろうとしていた子も思わず駆け寄ってきた。
好奇心と驚きが渦巻いた表情がいっせいに
門の先へ続いている森の小道へ向かっていた。
「ダメだよ! そこは近づいちゃいけないって先生いってたじゃん!」
年長の女の子の声に数人の子が慌てて 乗り出しかけてた身を引いた。
「ちょっと見るだけだよ」
「でも・・・」
「じゃ、おまえは外で見張ってろよ! 行く人!」
はーい! と、何人かが迷わず手を上げた。
数分後、結局はその場にいた子供全員が門をくぐっていった。
門を通った先はこんもりとした小さな森が広がっている。
左右を森に挟まれた小道をみんな寄り添うように進んでいった。
暮れゆく森の不気味さと禁止されてることをする後ろめたさが
心の中でふくらんでもう帰りたくなったとき、
彼らは礼拝堂の入り口にたどりついた。
古いが装飾のほどこされた立派な扉が目の前にそびえている。
心の中ではどうせ開かないと思ってたのかもしれない。
しかしまた新しくきた男の子が扉に手をかけると、
それはきしみながらも行く手を示した。
入り口からそろそろとのぞきこんだ礼拝堂は、
夕陽が高い窓から差し込み、くっきりと床の影を切り取っていた。
森が闇を落としている外より明るいくらいだったが、
閉ざされた空気が充満していて、重苦しい気が漂っていた。
「ねえ、ほんとにいくの?」
さっきの女の子の言葉にみなためらう。
「のぞくだけならだいじょうぶだよ」
「そうだよ。せっかく来たんだもん。見てみようぜ」
身を寄せ合いながら、おずおずと彼らは足を踏み出した。
しんとした中、足を下ろすと、
ぎぃっ! 古ぼけてはげた床がきしんで思わず互いにしがみつく。
それでもみな中に入り、思い思いに中を探索しはじめた。
恐怖はじょじょに薄れ、
冒険してるような高揚感に変わりはじめたそのとき・・・
「わーっ!」
物が崩れ落ちる音とともにした叫び声に
その場にいた子供全員の心臓が縮んだ。
中にはとっさに逃げ出した子もいたが、
外に駆け出した時点で森が怖かったのか慌てて戻ってくる。
声のした方を見ると、叫んだ男の子のすぐ前の壁が崩れ、
その下から真鍮のわっかがついた取っ手がのぞいていた。
叫んだ男の子のわきには新入りの男の子がいて、
それをじっと見つめていた。
「おいこれ」 顔を見合わせたまま沈黙が漂う。
さっき叫んだ子が、おそるおそる手を差し出し、
取っ手を掴んで、みんなの顔を見回した。
息を飲んで見守るだけで、声をあげて反対する子はいなかった。
その子は少し取っ手を引っ張ってみた。
・・・ぜんぜん動かない。
今度は力を入れて引っ張ってみた。
それでも、壁に固定されてるのかと思うほど、全く動く様子はなかった。
取っ手から離した手をぷらぷらと振ると、その子は首を振った。
すると、代わって一番体の大きい少年が前に立った。
両手で取っ手をぎゅっと掴み、全体重をのせて引っ張る。
ゴーン ゴリゴリゴリ
重い音をたて、わっかがわずかに手前に動いた。
壁から輪につながった鎖がずるずると出てくる。
それと比例して、床の一部がゆっくりと引きずるような音をたて、口をあけた。
ひとりが手伝い始めると、つられたように他の子たちも手を貸しだした。
そして、最後まで鎖を引っ張り出したあとの床には
ちょうど人ひとりが通れるくらいの穴があき、暗い階段が地下に続いていた。
「どうする?」
子供たちはぞろぞろと階段の入り口へ移動し、また顔を見合わせた。
「もうやめようよ。先生に怒られちゃう」
年長の女の子は着古したスカートを汗ばむ手でぎゅっと握り締めた。
さすがに今度は反論する子はいなかった。
「・・・じゃ、ここで見張ってろよ。オレが見てくる。クエスも来い」
真鍮の輪を引っ張った子が新入りの少年に言い、
クエスと呼ばれた少年は黙ってうなずいた。
この年頃が人生で一番怖いもの知らずなのかもしれない。
好奇心が恐怖に打ち勝った何人かは
不安げに見送る他の子達の視線を背に階段を下りていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
高価な家具の並ぶ明るいリビングに遅い朝が訪れていた。
光がいっぱいに差し込む大きな窓には
白いレースのカーテンが優雅に揺れている。
いかにも座り心地のよさそうなソファと重量感があるテーブルが置かれた
部屋に葉擦れの音を運ぶそよ風が爽やかな空気を送っていた。
が、そこにいる彼らの間の空気はお世辞にも爽やかとは言えなかった。
「何しにきた?」
ソファに腰を下ろすなり、ウェルは露骨にうさんくさげな目を向けた。
ダブルカフスを留めたカフリンクスのチェーンが揺れ、
外から差し込む光に静かな光沢を放つ。
ソファから身を乗り出してコーヒーを口に運んだ彼は、
にっこりと厳しい表情のウェルを見上げた。
「ずいぶんなご挨拶だな。久々に会ったというのに」
「・・・」
憮然とウェルは向かい側のソファに腰をおろす。
「ふうん。そういう恰好も似合うね」
コーヒーを口に運びながら、彼は変わったものを見たかのように
カップ越しに興味本位の目を向けた。
ウェルはすらりとした体躯にゆとりのある白シャツをまとい、
クラヴァットを結んだ、いかにも上流家庭の出という恰好をしていた。
長い足を組み、しばらくは向けられた視線を黙って受け止めていたが、
相手がそれっきり言葉を続ける気がないのに気付くと、
めんどくさそうに口を開いた。
「そんなことを言うためにきたわけじゃないだろ。
さっさと用件を言え」
にべもない返事に彼は肩をすくめた。
「確かめたいことがあるんだ。 協力してもらおうと思ってね」
「神父さまー!」
高らかに響く声にバッツは目を向けた。
金の髪を弾ませて、美しい女性が妖精のように軽やかに駆けてくる。
全身、活気にあふれている様子に、彼女とたいして年が違わなそうな
若い神父はややまぶしそうに目を細めた。
片手に大きなバスケットをさげて、中身がこぼれ落ちないように、
懸命にもう一方の手で掛け布を押さえながら走ってくる姿はとても愛らしい。
「こんにちは。ミシェイルさん」
近くに来た女性はそれを聞いて、急に柳眉をひそめた。
「神父さま、何度もお願いしていますが、「さん」はつけなくて結構です。
私のほうが年下なんですから。かえって奇妙に感じますわ」
「ああ。そうでしたね。
こんにちは、ミシェイル」
こんにちは! 花が咲いたような笑顔がほころんだ。
ちょっと間を置いて息を整えてから、
ミシェイルは手にしていたバスケットを両手で差し出した。
「これ、私が焼いたんです。よろしかったら・・・」
かぶせてある清潔な布の下からパンの先がはみ出ている。
バッツはバスケットごと受け取ると、
掛け布の端を少し持ち上げて、中身をのぞきこんだ。
「これを全部私に? こんなにいただいてしまっていいんですか」
「もちろんです! そのためにがんばって焼いてきたんですから」
力強く言い切ったミシェイルを映した黒い瞳がかすかに微笑んだ。
「ありがとう。それではお言葉に甘えて、いただきます」
「いえ・・・そんなたいそうなものでは・・・」
急にミシェイルは恥ずかしそうに目をそらした。
うっすらと上気した頬が彼女をほんのりと彩っていた。
「あの・・・ 今日もお祈りしてかまいませんか?」
「もちろんですよ。おや、あれは?」
バッツは見慣れぬものを認めて顔を向けた。
|