眠 り 姫  第二夜






田舎の小さな村に似合わない高級な馬車が
からからと軽快な音を立てながら、石畳の道を進んでいった。
黒塗りのブルーム型馬車の御者席に座り、
片手で手綱を握っていたウェルは逆の手で頬杖をつきながら、
ゆっくりと流れる見慣れた町並みの間を通り過ぎていった。

道の両側は緑に揺れる高い木々と石造りの家が交互に並んでおり、
低い門と玄関を蔓薔薇が飾っていた。
馬車は目抜き通りを抜け、村をぐるっと取り囲む
崩れかけた城壁の内側に沿って進んで行く。
小高い丘の上に広がる、この平和そのものに見える小さい村でさえ、
昔は戦いの舞台となったのだ。
城壁は数少ないその歴史の名残りだった。

教会は城壁の途切れているところ、門の残骸のすぐわきに建っていた。
民家と同じように蔓薔薇に飾られて、
ささやかなたたずまいを見せている教会のすぐ近くに
黒い衣服に身を包んだ若い神父と美しい女性が並んでこちらを見ていた。

「やぁ、バッツ」

手綱を左手で持ったまま、ウェルは頬杖をついていた手を軽く上げた。
陽に灼けた明るい茶色の髪と健康的な肌に笑顔はよく似合っていたが、
それはちょっと苦笑しているようにも見えた。

「ウェル?」

意外な人物に黒い神父服をまとったバッツは目を見開いた。

「どうしたんだ。御者なんかして。
まさか、病院をクビになったのか」

「・・・おまえにしてはおもしろい冗談だな。よっと」

馬車を寄せると、高くなっている御者席に手をつき、
反動をつけて一気に飛び降りた。

「ごきげんよう。ウェル先生」

「やあ、ミシェイル。元気そうだね」

優雅に彼女の手を取って挨拶を交わしたウェルは、
いたずらっぽい笑みをバッツに向けた。

「ちなみにオレを解雇できる院長は行方不明だ。
おまえ、なんか知らないか?」

「なぜ俺が。知るわけがないだろう。
それを聞くためにわざわざきたのか」

バッツの答えにミシェイルはかすかに目を見開いた。
まさか、とウェルは軽く笑って否定する。

「今日はおまえに客を連れてきた」

「客?」

うなずいたウェルが振り返って、ついたぞ、と中に短く声をかけると、
馬車の扉が開き、青年がひとり姿を現した。

バッツが一瞬はっとしたのが背中を向けているウェルにも伝わった。
ウェルやバッツより少し年下の、たぶんまだ十代だろう。
青みを帯びた黒髪の、端正な顔立ちの若者だったが、
気品ある風貌にそぐわぬ傲慢な目がひどく印象的で、
人を見下す眼差しが冷たくバッツを射抜いていた。
軍服のようなきちっとした詰襟のカラー部分を無造作にあけていて、
中から首飾りだろうか、金属の光沢がちらっとのぞいている。
服はもちろん、フィブラで留めてある薄地の青い布も飾り紐も、
すべてが上等なもので、腰には細身の剣を帯びていた。
この若者もウェルと同じ貴族出身なのだろう。

「紹介する。騎士のルースだ。そして」
ウェルは黒髪の騎士へ顔を向けた。

「ルース。こちらが例の・・・神父のバッツだ」

「コイツが? ふーん。強そうには見えないな」

開口一番、青年はそういった。
ぞんざいな眼差しが無遠慮に投げかけられる。
ウェルがやっぱりという風に額を抑えて弁解した。

「最初から無礼全開なヤツですまん。
こいつはそれなりに腕は立つんだが、口が悪くてな。
その上態度もこうなんで誤解されやすいんだ。
変わり者だと思って許してやってくれ」

ルースは冷ややかにウェルを一瞥した。

「貴族のくせに医者をやってるあんたにそんなこと言われたかないね。
それよりアンタ」

「ちょっとあなた!」 

若者の外見と中身のギャップに固まっていたミシェイルが
やっと我にかえって、ずいと二人の間に割りこんできた。

「いきなりきてその失礼な言い方は何ですか!
それが初対面の人に対する礼儀?!」

「うっせーな。黙れ」

「な!」 一瞬絶句したものの、また口を開きかけたミシェイルを
いちはやくバッツは押しとどめた。

「話は中で聞きましょう。ミシェイル、悪いですが今日は・・・」

「はい。 別にかまいませんわ。
今日はそれをお渡しできればよかったんですから。
それにしても神父さま、ウェル先生相手だとご自分のことを俺って・・・
新鮮でした! 親友って素敵ですわね。では、また」

うっとりと言ったミシェイルは、それでも最後に
きつく青年を睨みつけるのを忘れなかった。

「もしかして、お邪魔しちゃったかな?」 

ミシェイルの後姿からバッツへ目を移した
ウェルの声はからかうような響きを含んでいた。

「そんなことはない」

「彼女、よくくるな」 意味ありげな視線を向けたが、

「ああ。きっとさびしいんだろう。両親が亡くなったばかりだから」

と、しごく真面目な返事にぴくりと頬をひきつらせた。

「バッツ、余計なお世話かもしれないが・・・」
ルースとは違う意味でまた額に手をやる。

「おまえ、もう少し外へ出て、いろいろ学んだほうがいいぞ。
今まで家にとじこもって勉強ばかりしていたんだろ」

「・・・。 おまえも相当に失礼なヤツだな。俺は日焼けしないんだ」

むっとした顔を見せたバッツは昔から
男にはもったいないくらいの色白の肌をしていたが、
漆黒の髪と神父の黒尽くめの衣服に身を包んでる今は、
それが白雪のごとく、よりいっそう際立ってみえた。

「そういうことを言ってるんじゃないんだが。
・・・逆玉のチャンスなのにな」

ウェルは額に当てた手で髪をかきあげたまま、口の中で小さくつぶやいた。
ミシェイルはこの村一帯の土地を治めていた領主の一人娘で、
少し前に両親が亡くなったため、彼女が全財産を相続した。
それで財産はもちろんのこと、ミシェイル自身、
妖精の姫とささやかれるほど美しい容姿をしていることもあって、
さっそく求婚者が続々と名乗りをあげている。
そんな事実を浮世離れしたこの男は知らないんだろうな。
と、ウェルは内心苦笑した。

さらさらとした髪が落ちてこないよう、かきあげたまま押さえつけた髪は
高くなった日差しに灼けて、オレンジ色に見える。
肌もほどよく日に焼けていて、 陽を吸収してしまいそうな
闇色の髪と白い肌のバッツとは対照的だった。

今でこそよく会う二人だが、再会するまでは連絡すらとっていなかった。
昔、とある研究機関にいた時に出会い、不思議と気はあっていたが、
離れ離れになって以来ずっと疎遠になっていた。

そして1ケ月前、この村にやってきたバッツは
近くの総合病院に嘱託医師として勤めているウェルと偶然再会する。
それから彼らの付き合いは再びはじまった。

互いに昔と全然変わっていない。
離れてからの空白の年は一夜の夢だったと錯覚してしまうほど、
彼らはすぐに昔のような良き理解者に戻った。

快活なウェルと物静かなバッツ。
太陽と月みたいに相反する印象のふたりが一緒にいるのを見て、
意外に思う人は多かっただろう。
この関係がいつまで続くのかは当の本人でも分からないが・・・

「では行こうか。ルースくん、こちらへ来て・・・」

バッツの声にはっと我にかえったウェルは慌てて言葉をさえぎった。

「ちょっと待った。もうひとりいるんだ。
ルース、クエスはどうした?」

「中で寝てる」

「じゃ、起こしてきてくれ」

「なんで俺が」

「ルース!」

「はいはい」

だるそうに上げた手でウェルの声を遮ると、
若い騎士は馬車へ入っていった。
おい、起きろと中で声がする。

「あいつも昔はかわいかったんだけどな」

ため息まじりの独り言にバッツは意外そうな目を向けた。
それに気付いたのか、ウェルは軽く肩をすくめてみせる。

「数年前とは別人だな。昔はまあ、ひねくれてはいたが、
ここまで傲慢なやつではなかったんだが」

ルースに続いて、馬車から男の子がおりてくる。
男の子は貴族の二人と違い、粗末な服を着ていた。
もぞもぞと目をこすりながら下りてきた子を見て、ウェルはまた口を開いた。

「あの子・・・孤児院の子なんだが、
ちょっと話を聞いてやってくれないか」




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