教会の隣に付属している小さな家に彼らは招かれた。
壁にはツタがからまり、小さな石造りの家の半分ほどを覆っていた。
玄関を入ってすぐのこぢんまりとした部屋は、
据え付けの家具以外はテーブルと椅子が二脚しかない。
先に入ったバッツは部屋を通り抜け、奥から椅子を持って戻ってきた。
今度はその足で台所へ向かい、飲み物を運んでくる。
ルースはせまい室内と、何度も行き来するバッツを交互に眺めていた。
最後に台所から持ってきた背もたれのない粗末な椅子に腰かけて、
ようやくバッツは他の三人を見渡した。
「クエス、もう一回あの話をしてくれるか」
ウェルが意を察して男の子をのぞきこんだ。
少年は素直に大きくうなずいた。
「みんな悪い夢を見るんだ」
三人の大人に見守られるなか、クエスが口を開いた。
聡明な子だ。それがバッツのクエスに対する印象だった。
少年は孤児院にいる子供が毎夜悪夢にうなされること、
何人かは起き上がれず寝込んでいることを客観的に話すことができた。
ウェルが補足する。
「原因は不明だ。
何かの中毒や伝染病じゃないかと思って調べてみたんだが、
何も該当するものがなかった。
この子は運ばれてきた時点ではかなり衰弱していたが、
入院させて様子を見ただけで今は回復している。
どう思う? 単なる病気ではなさそうだろ」
「それで悪霊の類のせいだと?」
原因が分からない。ただそれだけで 呪いだとか、悪霊のせいだとさわぐ者は多い。
「まあ、そこはいわくつきなんだ」 ウェルが言葉を濁す。
「? だが頼まれてもいないのに調査など・・・」
「それなら心配ねえよ」
つまらなそうに頬杖をついてそっぽを向いていたルースがこっちを見ていった。
「3年前にも同じような事件があった。
今から調査に行くことになってる。アンタも一緒にくればいい」
「3年前?」
「孤児院はもとは学校だった。
だが3年前の原因不明の病気で閉鎖。その後安く売られていたのを
ギリアド・・・今の孤児院の院長が買い取った」
「・・・」 バッツは両手で組んだ指を口元に持っていって考え込んだ。
その様子を見てウェルは席を立つ。
「決まりだな。じゃ、送ってってやるよ。
クエスも孤児院へ戻ることになってるし」
ウェルたちが乗ってきたブルーム型馬車は 御者台と箱型の座席とに分かれている。
ウェルとクエスが御者台に座り、ルースとバッツは車内に乗りこんだ。
馬車の振動と日差しが心地いいのか、クエスは馬車が出発して いくらもしないうちに、
すやすやと寝入ってしまった。
「今回の事件ってそんなに重要なことなんですか?」
「ん?」
バッツは向かい合わせに座っているルースに話しかけた。
外は昼過ぎののどかな風が吹いている。
ルースはふちに肘をつき、見ているのかいないのか分からないが、
ずっと窓の外へ視線を投げていた。
視線を向け、バッツをじっと見る。
「いえ、わざわざ中央の騎士が出向くほどの重要な案件なのかと思いまして」
付け足した言葉に、無表情にああそういうこと、と小さく呟いた。
「ちょっと確認したいことがあってね」
「・・・。悪霊がいるかもしれないのに怖くはないんですか」
ルースの瞳がふっとゆるんだ。
口元は隠れて見えなかったが、たぶん笑ったのだろう。
「別に。悪霊なんて滅多にお目にかかれねーじゃん」
「襲われたらどうするんですか。剣は通用しませんよ」
「そのためにアンタがいるんだろ」
「私の手に負えないやつだったらどうするんですか」
少し無責任な言い方かと思ったが、 ルースは考えるふうもなく、あっさりと答えた。
「そしたらアンタが死ぬだけなんじゃねーの。
現に前の事件の時に消えたやつもいるし」
「え? あなたが死ぬかもしれないじゃないですか」
「そうかもな」
「そうかもなって」
バッツは目の前の青年を見つめた。
呆れる、というより不可解な気持ちのほうが強い。
時に不遜にすらみえる青年は、何も怖れていないようにみえた。
かといって虚勢を張っている風にも見えない。
俯瞰的に、でも皮肉げに。単に貴族というぬるま湯の中で育って、
本当に怖いものを知らないだけなのだろうか。
「あなたは腕の立つ騎士なんでしょう?
貴族ですし、将来有望な人の言葉とは思えませんが」
ルースはひとつ息をはくと、心底めんどくさそうに言った。
「出世にはまったく興味ないんでね。
これ以上、貴族や教皇庁のやつらを 相手にしなきゃなんないのかと思うとうんざりする」
「そんな身も蓋もない言い方・・・不敬罪に問われますよ」
「言いたきゃ言えば?
あそこは金と権力で矜持を保ってる勘違い野郎の棲息率が異常に高い。
俺は馬鹿は嫌いなんだ」
・・・。
時折、教皇庁に出入りして実情を知っているだけに反論できない部分はある。
ここまではっきり言われると逆にすがすがしい気もしたが、
この様子ではきっと都では大変だろう。
「なあ。悪霊退治って具体的にどうやるんだ?」
今度はルースのほうから質問した。
「聖水や詠唱を用いるのが一般的ですね。
ですが、私は自分の中に取り入れてしまいます」
「取り入れる? 食うのか」
興味をひいたのか、ルースはずっと窓枠へついていた頬杖を外しバッツを見た。
「そうですね。そう言っても間違いではないと思います」
「そういうのって他のヤツもできるのか」
わずかに身を乗り出した彼の声は、
普段のかったるそうなものとは一転して熱を帯びていた。
「ええ。取り入れるだけなら可能だと思います。
ただ普通は耐え切れないと思いますが」
「耐え切れない?」
バッツはうなずいた。
「実際に見たわけではないので断言はできませんが、
たぶん人間の方が内から食い破られてしまうのではないかと」
「なんだそりゃ。アンタほんとに人間か」
あきれたような声にバッツはかすかに笑った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
馬車は村を抜け、ぶどう畑の端を縫うように進んでいた。
やがて大きな二階建ての屋敷と尖塔のある礼拝堂が見えてくる。
「・・・」
「? 今、なにか言いましたか」
バッツの声にルースはちらりと視線だけを向けた。
「いや、なんでもねーよ。
もうすぐだな。孤児院」
「そうなんですか?」
ふたりは向き合って座ってるので、
進行方向を背にしているバッツには通り過ぎた風景しか見えない。
ほどなく馬車の車輪の響きが土から石畳の上のものに変わった。
その音に気付いたのか、起きたクエスが夕暮れの窓から身を乗り出した。
窓から入るはしゃいだ声が孤児院までどれくらいかを細かく教えてくれる。
孤児院の門を抜けると、長身の男が玄関の前で馬車を待っていた。
元学校だと聞いていた孤児院は古く大きな屋敷のようだった。
「せんせえ〜!」
クエスが最初に馬車を飛びおりるなり、 出迎えた男のところへ転がるように駆け寄っていった。
「クエス、よくなりましたか。よかったですねー」
ひざをかがめて男は柔和に微笑んだ。
他の子供たちのもとへ走りだすクエスを笑顔で送り出した後、
顔を上げたとたん、男の表情から笑みが消えた。
「久しぶり。ギリアドせんせ」
「ルース様。あなたがなぜここに・・・」
「連絡あっただろ?
都から調査にくるって。それ、俺」
固くなったギリアドの表情とは逆に
彼の目の前に立つルースは皮肉げな笑みを浮かべていた。
そんな彼らの様子を横目にウェルはバッツに話しかけた。
「じゃ、オレはこれで。明日また迎えにくる」
「え? 帰るのか」
意外な言葉にバッツは少し目を見開いた。
空は薄墨で筋を引いた雲に赤の絵の具をぼやかした色が広がっている。
反対側の空にはもう夜がせまっていた。
今からどんなに急いで帰っても着くのは夜中になってしまうだろう。
「ああ。用があってな。
なんだ? もしかしてオレがいないと不安なのか?」
からかうように唇の端がわずかにつり上がった。
「違う。 ・・・。」
いきなりバッツはウェルの腕をぐっとつかんで引き寄せた。
何事かと驚くウェルの耳元で、声をひそめながらも鋭く問う。
「おまえ、何を考えてる?」
「・・・オレは別に何も?」
驚きから解放されたウェルの目がいつもの涼しげなものに戻った。
じゃあな、とバッツの手をふりほどいて歩き出した足が
数歩いったところでぴたりと止まり、こちらを振り返った。
「バッツ」
ウェルの声にバッツは顔を上げた。
ふたりはそんなに離れてはいなかったが、逆光に阻まれて
バッツからウェルの表情を窺い知ることはできなかった。
「油断するなよ」
小さくそう言い置いて、ウェルは馬車へと踵を返した。
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