眠 り 姫  第四夜






孤児院は暮れていく空に押しつぶされそうな、
どんよりとした空気が漂っていた。
クエスや外に出ていた子供たちはもう孤児院の中へ入ってしまい、
ギリアドとルース、そしてバッツの3人だけがまだ外に残っていた。

「神父様」

馬車を見送っていたバッツは背後の声に振り返った。
近頃では珍しいローブをまとった、ひょろりと背の高い男が
ルースと並んで立っていて、 バッツと目が合うとわずかに会釈した。
細面の学者肌の男だったが、このタイプによくある神経質さはなく、
小さな丸メガネの奥の瞳は人好きのする光をたたえていた。

「さっき言った、院長のギリアド」 

ルースのぶっきらぼうな言い草にも気を悪くした様子はなく、
ギリアドは温和な瞳をわずかに細めてバッツを見た。

「ルース様から話は伺いました。
わざわざ来ていただいてありがとうございます。
さ、中へお入りください」

「いえ、できれば明るいうちに一通り案内してほしいのですが」

「そうですか・・・構いませんよ。
では行きましょうか」

バッツは少し首をかしげながら、先を歩くギリアドの後姿を眺めていた。
近くで見ると、どことなく焦燥した感がする。

「ふたりは知り合いですか」 

先導するギリアドの後をついて歩きつつ、バッツは尋ねた。

「はい」 返事をする気配のないルースに代わり、
ギリアドがしばらく間を置いて答えた。

「ご存知かもしれませんが、この孤児院は以前、学校でした。
ルース様は生徒として在籍されていて、私は教師だったんです。
彼は我々の間ではとても有名だったんですよ」

「でしょうね」

ここに来るまでのわずかな間だけでも、
容易にクラスでの傍若無人ぶりが想像できる。
ええ、とギリアドはうなずいた。

「ルース様の試験の成績は0か満点のどちらかでしたから。
とても印象に残っています」

「・・・・・・」

「なにか言いたげだな」

ルースは不機嫌そうに一瞥すると、ふいと顔をそむけた。

ギリアドとともに院内を巡るふたりのあとを
子供たちの何人かが興味深そうに少し離れてついてくる。
バッツはそんな子供たちにちらりと目を向けた。

「子供たちは具合が悪いと聞きましたが」

「ええ、まあ・・・たしかに何人かは具合が悪くなりましたが、
現在は病院に運ばれた子供以外はよくなっています」

二階建ての建物の一階は集会室や台所、食事をする場所などになっており、
二階は寝室と空き部屋になっていた。
古い建物だが、もとが学校なだけにかなり広い。

「あの建物は?」 

二階の廊下からみえる黒々とした建物にバッツは目をとめた。

「あれは礼拝堂です。しかし今は古くて危ないので閉鎖しています。
鍵がかかっていて誰も入れませんよ」

そのとき、一階から鐘の音が響いた。
ついて歩いてきた子供たちがいっせいに一階へとおりてゆく。

「食事の時間ですね。おふたりはこちらへどうぞ」

食堂に集まった子供たちとは別に
ギリアドの部屋に食事が用意されていて、三人は席に着いた。

「それで」 ギリアドがバッツへ目を向けた。

「なにか変わったものを感じられましたか」

「いいえ。こちらでは何も」

「そうですか」 ギリアドはほっと息をついた。

子供たちの喧騒が遠く聞こえた。
ルースは二人に目をやったが、そのまま食事を続けていた。

やがて食後のお茶を飲んでいる時、
バッツはふと思いついたようにギリアドに尋ねた。

「あなたはなぜ孤児院の院長をされているんですか?
以前は教師だったんでしょう?」

「ええ。ただ私は教師といっても、教皇庁からの派遣でしたので。
孤児院の運営も教会の重要な勤めです。
こういうこともありますよ」

にこりと微笑んだギリアドをバッツの黒い瞳が見つめた。

「あなたはエクソシストですよね。この職業は数が少ない。
まず他にまわされることはないと思いますが」 

カップを持つギリアドの手が止まった。
驚きを交えた瞳がバッツに向けられる。

「失礼ですが、どこかでお会いしたことはあったでしょうか」

「いいえ。しかしあなたの噂はお聞きしたことがあります。
かなりの実力の持ち主だとか」

「そんな。・・・私などたいしたことないのです」

目を伏せたギリアドをバッツは不思議そうに見ていた。

「アルリシアはどうだったんだ?」 

ふいに今まで黙っていたルースが口を開いた。

「! 彼女は・・・」  ギリアドは言いよどんだ。

「アルリシアとは誰ですか?」 

黙り込んだふたりにバッツは尋ねた。
ルースはギリアドを見つめたまま答える気配がなかったので、
またギリアドがささやくように言った。

「彼女は・・・私の弟子でした。聖女と噂されるほどの、
エクソシストとして、すばらしい資質を持っていた子です」

「ふっ 過去形か」 ルースは薄く嗤った。

「三年前、あいつはここへあんたと一緒に来たはずだ。何があった?」

怜悧な視線が痛いくらいギリアドに刺さっていた。

「彼女は・・・ ここにいたのは強大な悪魔でした。
アルリシアは自らと引き換えに悪魔を封印しました」

「っ!」  突然、ルースは椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。

「ルース!」  バッツが鋭く制止する。

「私には太刀打ちできなかった」 

ギリアドはテーブルについた両手で頭を抱え、うつむいた。
漏れでた声は力なく震えていた。

「彼女がいなかっら私はもちろん、このあたり一帯、
恐ろしいことになっていたでしょう」

「だからあいつを犠牲にしたのか」

「そう言われても否定できません」

「嘘だ! アイツは生きてる。俺はそう聞いた」

「すみません、部屋はありますか」

押さえていた手を通して
ルースの感情の高ぶりを感じたバッツはとっさに尋ねた。
今はお互い冷静になるべきだろう。

「はい。用意してあります。お待ち下さい」 
ギリアドはよろめきながら部屋を出て行った。

「・・・放せ」  低い声にバッツはつかんでいた腕を放した。

しばらくして部屋がノックされて、おずおずと女の子が姿をあらわした。
漂う重苦しい雰囲気を感じたのか、ふたりを見上げて遠慮がちに口を開いた。

「あの・・・院長先生からお部屋に案内するようにって」

「はい。お願いします」

二階の廊下の一番奥、端の部屋に向かい合って、
それぞれの部屋が用意されていた。

「どうかしましたか」

女の子がものいいたげに顔を何度も上げては伏せてるのに気付き、
バッツはやんわりと声をかけた。

「あの・・・院長先生をいじめないで」

「え?」

「さっき、とてもつらそうだったから」

口ごもった少女と見下ろす黒い瞳が優しく微笑みかけた。

「安心してください。いじめてはいませんよ。
ああ、ひとつ聞きたいんですが、
あなたはあの礼拝堂に行ったことはありますか?」

「え? う、ううん。
あそこはいっちゃいけないって院長先生が言ってたから」

少女はバツが悪そうに目をそらした。
それぞれの部屋に分かれる時、
ルースをひとりにしていいものか、バッツは正直ためらった。

「ギリアドさんは、ここにいる子供たちにとって大事な人です。
分かりますね」

「・・・」 

ルースは無言で背を向け、部屋に入っていった。




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