眠 り 姫  第五夜





後ろ手にドアを閉めたバッツはまっすぐ奥へ進み、窓を開けた。
かすかな残光から月光に変わった空から冷たい夜気が入り込んでくる。
外へ向けた視線の先には、暗い森の上に先端をのぞかせている礼拝堂がある。
鍵がかかっていて、立ち入り禁止になっているという話だが・・・
バッツは窓枠に手をかけるとためらうことなく、ひらりと飛び降りた。
二階なのでかなりの高さがあるのだが、音も立てず猫のように着地する。
顔を上げたバッツはもう一度、礼拝堂の屋根を見上げ、場所を確認した。
広い敷地ではあるが、大人の足であればさほど時間はかからないだろう。
彼は迷うことなく闇の中へ足を踏み出した。

礼拝堂は小さな森に囲まれていたが、その森ごと柵で取り囲み、
唯一の道は門扉に閉ざされ、ひっそりと孤立していた。

「!?」 門の近くまできたバッツはふと木陰に身を寄せた。

誰かいる。うろうろしている怪しい人影に気づかれぬよう、
近くの木に身をひそめて、しばらく様子をうかがった。
襟を立てたコートと帽子を目深にかぶっている為よく分からないが、
あの長身はたぶん男だろう。
それはいかにもあやしく、明らかに礼拝堂を気にしていた。

「あの、何かご用ですか」

バッツの声にその人影は傍目にも分かるほどびくっとした。

「! いやー これは、神父さんですか」

予想外の明るい声に今度はバッツのほうが驚いた。
愛想のよい調子で声はしゃべりつづける。

「ぼくは刑事でね、三年前の事件について調べてるんですよ」

「それは解決したと思ってましたが」

「まあね〜 それはそうなんだけど」

「・・・この礼拝堂に何かあるんですか」

「おや? あなたも興味あるみたいですね。ふーん」 

男は帽子のふちに手をかけ、好奇に輝く目をのぞかせた。
帽子をとると、あたたかな銀色の髪が月の光に踊る。
月光の下にさらされた涼やかな素顔は、むさ苦しさとは無縁で、
バッツのもつ刑事のイメージとは遠くかけ離れていた。

「よろしければ、あなたの事件に対する見解を教えていただけますか」

そんなふうに聞いてみたのも、
飄々とした雰囲気がウェルと重なったからかもしれない。
バッツの言葉遣いが気に入ったのか、男は大きく破顔した。

「おやおやおや、そんなに期待されると困っちゃうなあー
 はっはっはっはー 見所のある若者だ。よろしい!
 ひとつ教えてあげよう。あの礼拝堂には眠り姫がいるんだよ」

冴え冴えとした月を振り仰ぎ、刑事は恍惚と目を閉じた。

「眠り姫! ああ、なんてステキなたとえなんだ!
 今宵はぼくの比類なき才能と美貌、そしてこの月に乾杯しよう!」

「・・・」

「おい、ヤブ医者」

あぜんとするバッツのすぐそばにいつのまにかルースが立っていて、
去ろうとする刑事へ冷たい視線を投げていた。

「あっれ〜? ルースじゃないか。
 相変わらず毛を逆立てた子猫みたいにかっわいいねー 
 でもぼくの偉大さが分からないなんて、その綺麗な瞳は節穴かな?」

「・・・穴があいてんのはアンタの頭だ。ちょっとこい」

医者? なかば連行するように強引に引っ張られる男を
バッツは不思議そうに見送った。

   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 

「あの刑事の方とお知り合いなんですか」

翌日、バッツはルースの部屋を訪ねた。

「刑事? ・・・ああ、アレね」

「アレって」 もう慣れたとはいえ、口の悪さに苦笑がもれる。

「三年前の事件について前、聞いた。アンタは何話してたんだ?」

「あの人が礼拝堂をうかがってるみたいだから声をかけてみたんです」

「で?」

「礼拝堂には眠り姫がいると言ってました。
 それ以外は聞いていないですね。すぐあなたが来ましたし」

「眠り姫・・・。それでどうだった?
 何か感じたのか、礼拝堂に」

「・・・」

ルースは探るように目の前の神父を見つめた。
ウェルはやけに自信たっぷりに言ってたが、
実際、彼の実力がどの程度のものなのか知ってるわけじゃない。
想像してたよりバッツという神父はずっと若く、
日に当たったことのないような異常な肌の白さはある意味病的にも見えた。

「アンタって、ウェルと正反対だな」

意外な言葉にバッツは一瞬きょとんとしたが、すぐ微笑みに変わった。

「ええ。それはよく言われます。確かに彼とはなにもかも正反対ですね」

「あいつも悪霊退治ができるのか」

「え?」

「ここに来た時言ってたじゃないか。
 ひとりじゃ自信がない、とか」

「ああ」 ここについたばかりの会話を思い出してバッツは納得した。

ルースはギリアドと話していたとばかり思ってたが、
しっかりウェルとバッツの会話も聞いていたらしい。

「彼は、どうなのでしょう。
 ルースくん・・・あなたはできるんじゃないですか」

「呼び捨てでいい。なぜそう思う?」

「悪魔の類を恐れていないようなので」

「なるほど。・・・どうだろうな。
 ギリアドにおそわったことはあるが、試したことはないな」

「・・・ギリアドさんの弟子だったという少女。
 彼女が今回の調査の目的ですか」

ルースの目がまっすぐバッツをとらえた。

「アルリシアは生きてると聞いた。だからそれを確かめにきた。
 アンタも誰か探してるんだろ? ウェルが言ってた」

「そんなことを」

「話のついでにな。それ以上のことは言ってねえよ。
 あんな辺鄙な村の片隅で神父やってて見つかるのか」

「エクソシストはそうはいませんからね、
 けっこういろんなところへ出かけるんですよ。
 それにこの仕事を続けていれば、いつかは見つかると思ってます」

「そっち方面の人ってわけだ」

「・・・。 ところでアルリシアさんのことを教えたのは」

ルースの手に制され、バッツは言葉を切った。
静かに立ち上がったルースは音もなくドアに歩み寄る。
ノブに手をかけ、一気に引いたとたん、

「わっ」 数人の子供が中になだれ込んできた。

「盗み聞きとは、たいした躾だな」

腕を組んだルースが上から冷たく見下ろしていた。

「おや、みなさん。どうしたんですか。何か私たちに用事でも?」

子供たちはしばらくお互いに目配せしていたが、
やがて部屋まで案内してくれた少女が思い切って口を開いた。

「神父さまはあの礼拝堂があやしいと思うの?」

「・・・何か知ってるんですね。
 どうぞ。中に入ってお話を聞かせてください」

廊下では人影がこの様子を見守っていた。

うながされるまま、ぞろぞろと部屋に入った子供たちは
落ち着かない様子だった。
口を開いたのは、やはりさっきの年長の女の子だった。

「実は私たち礼拝堂に入ったことあるの。
 下へおりる入り口があって、私は怖くて行かなかったんだけど、
 へんな模様が描かれた床の上に女の人がいたって。
 でもみんなそのあと病気になっちゃったし、
 先生からあそこにいっちゃいけないって言われてたから」

「女・・・」  ルースが呟いた。

「・・・。 下に下りていった子はこの中にいますか?」

みんな首を振った。

「今日帰ってきたクエス以外はまだ病院だよ」

「そうですか。みんな、教えてくれてありがとう。
 さあもう戻りなさい。今夜は絶対部屋から出てはいけませんよ」

「神父さま。このことは先生には言わないでね」

「だいじょうぶ。内緒にしておきます」 

にこりと答えたバッツに子供たちはやっと安心したような色を浮かべ、
部屋に戻っていった。

廊下から様子をうかがっていた影は
子供たちが近づいてくるとすっと身をひいた。

「クエスに聞いてみるか?」

ドアを閉めたバッツの背中にルースの声が問いかけた。

「いえ。直接調べてきます」

「俺も行く」

「危険です」

ルースはじろりとバッツを見上げた。

「俺は調査に来たんだ。
 別にアンタに守ってもらおうとは思ってねえよ。
 俺のことはほっといていい」

「しかし」

「俺に命令するな」

突き放すような眼光にバッツは小さく息をついた。



「彼らは動くつもりだよ。あなたは決断しなければならない」

「・・・なぜ、なぜ」 ギリアドは苦渋に満ちた顔を上げた。

「止めなくては」 

力ない足どりが棚にまろびより、震える手が引出しをさぐった。
ずっしりとした銀の拳銃がギリアドの手の上で
こきざみに光沢を揺らめかせていた。




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