眠 り 姫  第十夜






ベッドに横になっているアルリシアをルースは見つめていた。
バッツは帰り、ウェルたちも部屋をあとにしている。
来た時は生きているか分からないくらいだった彼女の胸は
規則正しく上下に波打ち、白い頬はかすかに赤みをおびていた。
長く伸びた金の髪が少し乱れていた。

ルースは彼女の頬にかかる金の髪をそっと払いのけた。
弱々しいけれど、確かに彼女は生きている。
指先を通して、あたたかいものが伝わった。

「ん」 彼の見守る中、女は目を開けた。

「起きたか」

ぼんやりとした瞳の中にルースが映っている。
女は緩慢に起き上がった。
長い髪がさらさらと肩から落ちる。

「だれ?」

彼女の記憶にあるルースもまた少年だった。
だから思考が追いつかない。
それに頭にもやがかかったようにぼうっとしていた。

「ルース」

懐かしい声にアルリシアが手をさしのべてルースの頬にふれた。

「アルリシア? 痛っ」

思いがけない行動にどきりとしたのも束の間、
彼女の指はルースの頬を思いっきりつねっていた。

「・・・夢じゃない」 つねった手を引き寄せじっと見つめる。

「おまえな〜」

頬が少し赤いのはつねられたせいだけではないだろう。

「何しにきたの?」

ルースはため息をついた。

「その言い方はないだろ。
わざわざ迎えにきてやったのに」

「そう・・・ 結婚でもするの?」

都を出る前、ルースが付き合っていた女の子と会ったことがある。
彼の家柄にふさわしい華やかなお嬢様。

「ああ。そのつもりだ。一緒に帰るだろ?」 

「そうだね。もうここにいる必要もないし。
おめでとう」 

彼女は瞳をふせた。
夢魔を封印していた時、いつも終わらぬ悪夢にうなされていた。
どんなに優しくても最後にルースはいつもアルリシアのもとを去っていく。
それが幸せであればあるだけ、嘆きも大きかった。
現実に戻っても同じなら、目覚めない方がよかったのかもしれない。

「じゃ、約束の印」

ルースがベッドに手をつき、身を乗り出した。

え? 目の前にルースのきれいな顔があった。
自分の状況に気付き、とっさにあげようとした声は
ルースによってふさがれ、外に漏れることはなかった。

「・・・」

「な、ななな、何!?」

心臓が破裂しそうなほど早鐘をうっている。
解放されたあと、反射的に勢いよく後ろに飛びのいたアルリシアの、
その先に壁があった。
ゴーンという音が部屋全体に響く。

「〜〜〜」

後頭部をしたたかに打ちつけたアルルは、
ベッドの上で頭をかかえてうずくまった。

「おい・・・だいじょうぶか。
すっげえ音がしたぞ」 

うつむいていたアルルは突然、
長い髪を振り乱してがばっと顔を上げた。
顔は真っ赤で、目は涙ぐんでいる。

「だいじょうぶじゃない! いきなり何すんのっ!」

「何って、分からなかったのか。
じゃ、もう一回してやるよ」

「ちがーう! そういう意味じゃない!!」 

アルルは枕をわしづかみ、思いっきり投げつけた。
それを紙一重でかわしたルースは
少し首をかしげたまま呆れたように言った。

「何すんだよ、暴力女。礼拝堂ではあんなに健気だったのに」

「な!? そんなの知らない覚えてない! 
第一、君はどっかの貴族のお嬢様と結婚するんでしょ」

「・・・」 ルースは髪をさらっとかきあげた。
髪の下からはまっすぐにアルルを見つめる目があった。

「結婚するよ。おまえとな」

「へ?」

ルースの手がアルルの腕をつかみ引き寄せる。
あっと思う間もなく、アルリシアの体は
ルースの腕の中にすっぽりとおさまっていた。

「勘違いしてんじゃねーよ。
招待客をわざわざ迎えにくるわけねーだろ」

「だって婚約者が」 

息がかかるほど近くでささやかれて、
耳まで赤くなりながらもアルルは口ごもった。

「ンなのいねーよ! 誰だ、それ。
強制的に見合いさせられたことはあったけど、全部断った」

「なんで?」

ルースは深いため息をついた。
少し距離をあけてアルルの顔を見つめる。

「おまえな。なんでもかんでも言わなきゃ分かんねえのか。
ほんと鈍すぎ。どこかの神父みたいだな」

「なにそれ」

「こっちの話。で、返事は?」

「返事?」

「そ、返事」 うつむいたアルルの頬を両手で挟み、自分の方へ向けた。
元に戻りかけていた顔色がみるみるうちに真っ赤になっていく。

「・・・。 否定しないってことは肯定でいいんだな」 

ルースの手の中でアルルは小さくうなずいた。
手をはなしたルースは強く、でも優しくアルルを抱きしめた。

こいつがいる限り、人間に失望しない。
胸の中にとめどなくわきあがるあたたかい思いを感じて、
彼は安堵の息をついた。

◇ ◆ ◇

ルースとアルルが街を去って数日後、ウェルは教会を訪ねた。

「なあ、おまえどうするんだ?
あいつだろ? おまえの探し人は」

ウェルの言葉にバッツは少し考えこむ素振りを見せた。

「たぶん。しばらく様子見だ。
居場所が分かっただけで今はいい。当分ここにいるさ」

「そうか」

午後の日差しがのどかな風景を照らしていた。

「ウェル」 ふと思い出したようにバッツは顔を上げた。

「ずっと疑問に思ってたんだが、
いったいどうやってアルリシアを目覚めさせたんだ?
ルースに聞いても教えてくれなかったんだが」

街を発つ前、ルースがアルルを連れてバッツに会いに来ていた。
そのときに聞いたのだが、彼にしてはめずらしく言葉を濁していた。

「それは、まあ・・・そうだろうな」 

ウェルの顔に含みのある笑みが広がった。

「そうだな。ミシェイルあたりに聞いてみたら分かるんじゃないか。
おっともうこんな時間か。じゃあまたな」

思わせぶりなセリフを残し、ウェルは帰っていった。
いつものように教会を訪れたミシェイルにバッツは聞いた。

「つかぬことをたずねますが、
眠ったまま目を覚まさない人の起こし方を知ってますか」

「? もしかして眠り姫のお話ですか」

脳裏にまさかという思いがよぎった。

「あのー それで、その眠ったお姫様は
どうやって目を覚ましたんでしたっけ」

「いやですわ! 神父様」 ミシェイルは声をたてて笑った。

「眠ったお姫様は王子さまのキスで目を覚ますに決まってるじゃないですか」

    



<第九夜へ>



<表紙へ>



<TOPへ>