礼拝堂に入ってきた男は下に続く階段の入り口で足を止めた。
「おやおや〜? この階段は・・・ ん?」
人の気配を察した男はすばやく物陰に身を隠した。
そうっと顔をのぞかせると、生気のない表情のギリアドと子供がひとり
入ってきて、迷うことなく階段を下りていった。
「これはこれは・・・おもしろい舞台が見れそうだ。
ここは高みの見物としゃれこもうかな」
バッツに刑事と名乗り、ルースにヤブ医者と呼ばれた男は
ふたりが完全に階段の下に消えたのを見計らって、
再び地下室の入り口ににじり寄っていった。
そしてまたのぞきこもうとした時、
「こんなところでなにやってるんです?」
聞き覚えのある声が上から降ってきて、 彼は飛び上がらんくらい驚いた。
「!? キ、キミか。あはははは、久しぶり。 びっくりしたなあ、もう」
「それはこちらのセリフです。 行方不明と聞きましたが?」
ウェルのため息まじりの声に男は取り繕うような笑みを浮かべた。
「まあまあ。そう固いことを言わずに」
「笑ってごまかそうとしてもダメですよ」
いかにも頭が痛そうに額に当てかけた手が髪にふれる直前、
ウェルはふと真顔になり、その手を下げた。
「話は後です。行きますよ!」
「え〜 ぼくは観客でいいのに。
・・・はいはい、行けばいいんだろ」
有無を言わせぬ冷たい視線に、男はしぶしぶ腰をあげた。
ルースは涙を流すアルリシアを見つめた。
「お願い。 はやく・・・逃げ・・・て」
アルリシアはよろよろとあとずさった。
とたんに絶叫をあげ、その場に崩れ落ちる。
ルースはアルリシアのもとへ歩いて行った。
ひざをつき、彼女の汗ばんだ頬をやさしくぬぐう。
瞳の中には必死で耐えている少女の姿が映っていた。
いつもの人を見下す不遜な目とは違う、 おだやかな光をたたえて、ルースは言った。
「だいじょうぶだ。おまえは自由になれ」
低く、優しい声だった。
アルリシアの目に光が戻りかけたとき、
闇を貫く銃声が部屋の中に響き渡った。
「アルリシア!!」
力を失って崩れ落ちた身体をとっさに支えながら、
胸に浮き出た小さな真紅のシミが
鮮やかに広がっていくのを呆然と見ていた。
誰が・・・素早く視線をめぐらせた。
その場にいたすべての視線が銃口を向けている彼に集中していた。
「ギリアドー!!!」
ルースの絞り出すような声が響いた。
「ナイトメアもアルリシアも復活させるわけにはいかない・・・」
銃を持つ手をだらりと落として、
自分に言い聞かせるかのようにギリアドは呟いた。
「何を言ってる? こいつはおまえの弟子だろ」
「あなたは知らない」
自分の心が壊れていく、
そんな音を耳にしながら口だけが無機質に言葉を紡いでいった。
「私はナイトメアを見ただけで竦んだ。
圧倒的な力の差に逃げることすらできなかった。
しかしアルリシアは・・・私は悪魔より彼女のほうが恐ろしい」
「なんだと?」
淡々とギリアドはしゃべり続ける。
「彼女はあの悪魔をさらに上回る力を持っていた。
・・・悪魔を封印した彼女をここに封じたのは私です。
それですべてうまくおさまったはずだったのに」
「ふざけるな! あんたは手柄を独り占めしたかっただけだ!」
「違う! それにこれは上の命令でもあったのです。
私はそれに従っただけ。そう、私は間違ってなかったんだ」
ギリアドのこわばった顔は引き攣ったような笑みを浮かべた。
「彼女は純粋すぎた。
聖女は聖書の中にだけ存在すればいい。
このままずっと眠っていれば死なずにすんだのに」
「本気で・・・本気で言ってるのか」
ルースの声は震えていた。
脳裏にアルリシアの記憶がよみがえる。
ギリアドを守ろうと、強大な悪魔に懸命に立ち向かっていったアルリシア。
追い討ちをかけるかのように、
憐れみのかけらもない声がルースの胸に突き刺さった。
「なまじ力など持ったのが不幸だったのです。
自覚のない力は利用されて捨てられるだけ」
「・・・」 ルースはぎりっと唇を噛んだ。
唇が切れて血の味が口の中に広がった。
「なぜ人間はこんなにも・・・もう、救えない」
血の苦さをかみしめるようにルースは声をしぼりだした。
「いけない! ルース!!」
駆け寄ろうとしたバッツの足は押しとどめられた。
ルースから人を寄せ付けない威厳が放たれ、肌がぴりぴりする。
顔を上げた彼の瞳は暗く、絶望に沈んでいた。
殺意、哀しみを通りこし、虚無が広がっていく。
「ダメ・・・」
「!」 だきとめていた腕に手をかけて、
アルリシアが弱々しくルースの服をつかんだ。
「・・お願い・・・心を閉ざさないで」
震える手を伸ばして、ルースの頬にふれた。
彼の頬に紅い筋がつく。
「アルル・・・」
ルースから放たれた力が突然消失し、
二人は重なるようにその場に崩れ落ちた。
アルリシアの身体から黒い闇が流れ出て、
ルースに向かったが、それは弾かれた。
ルースの詰襟のすきまから淡い光がこぼれていた。
「クッ」
薄闇の中でも分かる濃い闇が不完全ながらも悪魔の形をとった。
アルリシアの記憶で見たものと同じ。
「やめろ」
強制力のある声にナイトメアは動きを止めた。
声の主はバッツだった。
ルースとアルリシアのいる魔法陣へ歩いてくると、
ふたりをかばうようにナイトメアと向かい合った。
普段無表情な瞳は静かな憤怒が満ち、
ナイトメアの動きを止めるに充分な迫力を持っていた。
「実体化すらろくにできないおまえに何ができる」
怒りを沈めた声とともに新たな魔の気配がふくれあがる。
悪魔は実力こそがすべて。
だから相手の強さが本能的にわかる。
攻撃するしか能のない低俗な輩もいるが、
ナイトメアの影は明らかに狼狽していた。
「貴様、何者だ?」
バッツはうっすらと笑みをもらした。
「悪魔が私の名を聞くのか。
私は、七つの冠のひとつを所持する者。
ナイトメアよ、おまえの見せる悪夢ごと喰ろうてやろう」
鮮血のごとき深紅の唇がつりあがった。
「まさか・・・ヤメロ」
言葉は最後まで続かなかった。
実力が劣る悪魔の末路。断末魔の叫びが広間に響き渡った。
「・・・さて、あとひとつ」
闇を飲み込んだ漆黒の瞳が振り返った。
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