眠 り 姫  第八夜




バッツは振り向きざま手の先から黒い波動を放った。
闇よりも濃い、漆黒のものがほとばしり、
ギリアドの立つ方向に向けて一直線に襲い掛かった。
直撃するかと思われた瞬間、灼熱の炎の盾が床からわき上がり、
激しく衝突した波動と盾は、ともに消滅した。
衝撃の余波を受け、ギリアドが倒れる。

「残念だったね。ベルゼビュート」

消滅した炎の盾の向こうで男の子がにっこりと笑って言った。

「その名で呼ばれるのも久しぶりだ」

バッツはクエスに向けていた手をおろした。
賢そうな子供はバッツの変わりように驚くわけでもなく、
最初に会った時と同じように屈託のない微笑を向けていた。

「そろそろ正体をみせたらどうですか。
人 間 (ギリアド)を 利用するとは感心しませんね」

「利用したなんて聞き捨てならないな。
彼は自分でこの道を選択したんだよ。
彼は苦悩しながらもがんばってくれたよ。神の御名のもとにね」

となりで倒れているギリアドを見やったクエスはふたたびバッツに目を向けた。

「僕はこの姿もわりと気に入ってるんだけど。
君がのぞむのなら元の姿に戻らせてもらうよ」

言葉が終わると同時にまぶしいくらいの純白の羽根が薄闇に舞う。
さっきまでギリアドの隣にいた利発な子供はいなくなり、
代わって背に白い翼を持つ少年がそこにいた。

「はじめまして、ベルゼビュート。
僕はラグエル。大天使のひとりさ」

子供のクエスと同じ澄んだ瞳がバッツを見つめた。
人間で言えば十代前半に見える若い容姿で、
子供らしさを残した無邪気な表情をしていたが、
知性の輝きをそなえた瞳はバッツの視線を堂々と受け止めていた。
その背中から生えている純白の羽根は
闇の中にあって、さらにそれを払うように神々しい光を放っていた。

「・・・大天使がわざわざ何しにきたんです?」

「迷える子羊たちを家に帰してあげようと思ってね」

「このふたりもですか」

バッツは足元に倒れているルースたちに目をやった。
その視線を追ったクエスの顔がふっとわらった。

「答えは出た。
彼女には気の毒だけど、君たちは帰るべきなんだよ」

「答えとはなんです?」

「本気で言ってるの?」

しばしの沈黙が流れた。

「まあ、いいや。これで最後だしね。
彼の容姿を持つものは世界にふたりしかいない。
ミカエル様と元天使長ルシフェル、いや、魔皇子ルシファー。
でも僕には彼がミカエル様なのか、ルシファーか判断がつかなかった。
だから確認させてもらったのさ」

バッツはため息をついた。

「あなたですね。
ルースにアルリシアが生きていると教えたのは。
そしてギリアドまでも利用するとは・・・
しかしどうでしょう。本当に、彼はミカエルではないのでしょうか」

クエスは一瞬、目を見開いたが、すぐにくすくすと笑った。

「惑わそうとしたって無駄だよ。僕の判断は絶対なんだ。
それにさっきも言ったけど、僕はギリアドを利用したつもりはない。
彼は罪の意識に苛まされていからね。救ってあげたんだよ」

「それは天使の驕りではないですか」

「いや、救済だよ。しょせん、人はみな、罪人なのさ。
ギリアドは自らを超える才を持つ者への嫉妬。
アルリシアは自分の力についての無知。
そして君たちの罪は地上(ここ)に 存在していること」

「・・・。私はともかく、
人には罪を償うチャンスを与えるべきだと思いますが。
知らなければ学べばいい。
他人の才能を恐れ、妬むことは誰しもあることです。が、
彼がここに留まった理由はほかにあるのではないですか」

「残念だけど、君と議論する気はまったくないんだ。
そろそろ帰ってもらうよ」

クエスは右手を掲げた。
バッツ、ルース、アルリシアが入っている魔法陣が淡く輝きだす。

「くっ」 体が動かない。

「油断したね。その魔方陣は悪魔召喚のものじゃない。
封印するためのものなのさ。さようなら」

クエスの詠唱にこたえるように魔法陣の光が強くなっていく。
そのとき、後ろからその腕をぐっと掴んだ者がいた。

「!」  思ってもいなかったのだろう。
クエスは驚きに見開いた目をすばやく背後に向けた。

バッツもまた意外な展開を魔法陣の淡い光越しに見ていた。
そこにはラグエルの腕をつかんでいるウェルがいる。
すぐ近くに、なぜか先日見た刑事が腕組みをしつつ
まるで自分は部外者とでもいいたげな涼やかな表情で立っていた。

「ウリエル、邪魔するの?!」

焦燥した声があがる。
腕をつかんだまま、ウェルはクエスを見下ろした。

「やつは人に害を及ぼしたことはない。
むしろ悪霊を退治して役に立っている。
ルースだってまだルシファーと決まったわけじゃない。
万が一、ミカエルだったら、とりかえしのつかないことになるぞ」

「僕が間違えるわけないだろ!」

クエスは掴まれた腕を乱暴にふりほどいた。

「彼らがここにいることすらおかしいんだ。
何か企みがあるに決まっている。
それが分からないはずないだろ!
あんたがミカエル様と同じ四大天使だなんて」

「図に乗るな、ラグエル!
おまえに人を裁く権利はない」

ウェルの一喝にクエスは口をつぐんだ。
そばにいた刑事と名乗った男が場違いなほど明るい調子で言った。

「まあまあ、そう熱くならずとも。
ラグエル〜 君がミカちゃんに心酔しているのは知ってるけど、
あんまり熱いれすぎると火傷しちゃうよ」

「っ・・」  クエスはいまいましげにウェルから視線を外した。

「今日はひいてあげるよ。
不本意だけど、おまえの炎の盾に助けられたからな。
だが忘れるな。僕は天使を裁くもの。
誘惑にのって、その翼を罪の炎に燃やさないよう
せいぜい気をつけることだね」 

クエスは翼を広げたかと思うと姿を消した。
バッツたちを包む魔法陣の光がうすれていく。

「さーて見てあげよう」 

ウェルと一緒にきた男は、いそいそとバッツのほうへやってきた。

「刑事さん、どうしてこんなところへ?
いったい何者なんです?」

「さあね〜 謎めいているほうがかっこいいだろ?」

「・・・うちの院長だ」

「え?」  バッツは頭が痛そうな顔をするウェルをまじまじと見た。

「まあまあ、細かいことは気にせずに。
さあて、どうかなあ。一応弾道は反らしといたんだけど」

「?」

「この子、一足先に連れてくよ。
ウェル、ギリアドを孤児院へ運んだら、すぐにおいで」

少女を抱え上げた男はてきぱきと指示を飛ばす。

「バッツ君、キミはルースを連れて宿に行くといい。
ペイトンの名で予約してあるから、自由に使っていいよ。
あと馬車も置いてあるから、それで帰っておいで。
ではまたね。アデュ〜」

最後の言葉と同時に男とアルリシアの姿は消えた。
入口近くで倒れているギリアドをのぞきこみながらウェルが言う。

「今回の記憶はギリアドにはないほうが良いだろうな。
バッツ、孤児院におまえたちは来なかった。いいな」

「ああ」

「だいじょうぶだ。オレたちを信用しろ。 じゃあ、またな」

ギリアドの腕を自分の肩にまわし、支えるように立ち上がったウェルの
背から翼が一瞬見え、姿が消えた。
入るときに充満していた禍々しさも消し飛び、
あとには暗闇のなかにいるバッツとルースだけが残された。



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